カフェとはクリエーション(新しい価値観の創造の場)です。
【”思い”が現実になる】
「芸術は爆発だ!」とは岡本太郎さんの言葉ですが、創造とは「内に秘めた思い」が
表にでてくることであると思います。社会を動かす原動力は、決して個人の力ではあ
りません。
その個人が持つ夢や情熱に賛同した人間があつまり、同じ「思い」をもって
ネットワークを広げ、形になるのだと考えます。たとえば、世の中の流行などに目
を向けてみると、かならずそこには何かしらの「仕掛け」や「仕組み」が存在してい
ます。
その仕組みをインターネットというツールをつかって実現していこうというの
が「大学カフェ」の根本的な発想です。
【大学生とは?】
私は、「学ぶ」という基本的な人間の欲求は「大学生」と呼ばれる人たちだけの特権
ではないと考えます。したがって、ここでいう「大学」とは、従来の価値観に満足で
きず自分の思いを世の中に発信したいと考える全ての人、を対象にした「学ぶ場」で
あると定義します。
逆にいえば、現状に満足している人や知識としての勉強を求める人は、
たとえ肩書きが「大学生」であっても、このプランは魅力的にはうつらないでしょう。
あくまでも主体的に何かを学び、かつそれを実現したいと考える人をここで「大学生」と呼ぶことにします。
【カフェとは?】
カフェとは「非公式な交わりの場」であると考えます。我々自身の経験を振り返って
みても、新しい発想は、決して会社のミーティングなどの「公式な場」からのみ、生
まれるものではありません。
ここでいう「公式な場」とは学校で言うと、「先生」がいて、「教科書」があり、
その理解力をためす「テスト」がある場を指します。こうした「公式な場」は
「新しい知識」を得るためには有効であることは認めますが、
「新しい発想」を得るための場としては、機能していたとは言い難いわけです。
カフェとはヨーロッパの「カフェ」からでてきた言葉ですが、まさに「ふらっと立ち
寄ったカフェ」で「人と出会い」、彼らとの「会話」を通じて「いろいろなことを考
え」、「新しい発想」を生み出すイメージです。
こうしてでてきた「新しい創造」は自己増殖を繰り返し、また新しい人(新しい価値観)を呼び込み、
発展していきます。
この「新しい場」には従来の「肩書きや年齢」などといった「人の序列をつくる社会通念」は存在しません。
入学試験もありませんので、出入りは自由です。
【大学カフェの目的】
インターネット社会は、インタラクティブなコミュニケーションを可能にし、従来と
は違った「学びの場」をつくってくれるはずです。従来の価値観や制約から、埋もれ
ていた「新しい発想」を顕在化させ、それに同調する人をどんどん呼び込んで、大き
なネットワークをつくりあげていきます。
そして、このような「熱い思い」が総和的に融合され、形となって世の中に提出され、
世の中に何らかのインパクトを与えることができればと思います。
我々は現実の世界で人と出会ったときに、まずその人が、男か女か、
年齢は自分より上か下か、その人の職業は何か、このような想像を働かせ、
自分と相手のポジションを決定してコミュニケーションを始めます。
バーチャルな世界は、こうした社会通念を変えていく可能性をもっており、それであるが故に、こう
した通常の関係の中ではあり得ない「新しい発想」が生まれてくるのではないかと考えます。